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吉野ケ里遺跡

邪馬台国がどこにあるか、「魏志倭人伝」の解釈で実際の邪馬台国の所在地が近畿なのか、それとも九州なのか江戸時代から論争が続いています。佐賀県の弥生時代の遺跡「吉野ケ里遺跡」が発見されて現在は九州説がリードしているところです。

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弥生時代では100以上の国が存在していましたが、何十年と抗争をしていましたが、かの有名な卑弥呼の登場によって邪馬台国が誕生し抗争が終焉しました。

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邪馬台国は卑弥呼は1000人の下女を従え政治の指揮を取り、国の下支えとなる農地開拓や土木建築でこの労働力は奴隷階級を使っていたようです。すごい豪腕な女性ですね。

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その剛腕の秘密として、「三角縁神獣鏡」と言う鏡を用いて卑弥呼は儀式・祈祷・呪術を行って民衆を取りまとめていたそうです。
祈りの時代にはその当時の科学的な情報を持った権力者が呪術と織り交ぜて人々の心を掴んでいたのでしょう。

当時の政治は占いで行われていました。
動物の骨を焼きひびの割れ具合で今後の情勢、個人の未来、収穫や祭事、そして軍事的なことまで占いで決められいたようです。
異常な割れ方をすると飢饉や疫病、または自然災害のような災いの暗示として、奴隷が生贄となり災難を沈めたという話です。
人々の生活はこの占いによって支配されていました。すごい世界ですね。

こちらが吉野ケ里遺跡の卑弥呼の王宮です。

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もちろん復元ではありますが、今見てもかなり迫力があります。
当時だったら人々はこの建物の外観だけで恐れおののくでしょうね。

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バルーンフェスタのついでに行ってみた吉野ケ里遺跡でしたが、予想外の広大な規模に驚きました。
吉野ヶ里遺跡が邪馬台国と証明されたわけではまだありませんが、「魏志倭人伝」に記された卑弥呼の集落にあったとされている物見やぐらや城柵などと類似した遺跡が発見されています。総面積約117ヘクタールの区域が吉野ヶ里歴史公園となっているので周遊するにはかなり歩きます。

みんなが学生の頃に勉強した大好きな高床式住居がたくさん見れるのでオススメですよ〜(笑)

 

今回の撮影場所 佐賀・吉野ケ里遺跡

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1869

 

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